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2018年7月 1日 (日)

開発教育と私

 このたび運命的な成り行きで、必然的に己の人生経験をふりかえる機会があった。
 その成り行きについては後日書くと思うが、ここではそのふりかえりの内容を備忘録として記しておきたい。

 教育畑に生きてきた私にとって、人生は開発教育と共にある。
よって、私は開発教育分野でどう生きてきたか?がふりかえりの課題である。

 「汝、何処から来て、今何処に居て、これから何処に行くのか?」

こうして根源的に問うと、禅問答「桐山三頓」が思い浮かぶ。
つまり、余計な思案は 「馬鹿な考え、休むに似たり」 と悟るべし。

けれども、ここでは、私は余計な思案をしたい。

精一杯の答えは、自分の生きてきたプロセスそのものだと思う。
その解のみが、誰でもない、世界で私だけの解に他ならないのだから。

 さて、私の開発教育との関わりは、次の4つの取り組みに集約できると思う。

1) 1990年代 開発教育協会(DEAR)主催 「開発教育ワークショップ」 企画・運営

・・・ これは、開発教育の普及と参加型授業のための教材作成をねらいとする1泊2日のワークショップだった。
この時期、ちょうど公立高(川越南高校)の職場で 「市民と学ぶ自主講座」 の企画・運営に関わっていたが、1990年代は 「ワークショップずくめ」 だった。

  ちょうど10年続いたが、この宿泊研修で作成した教材が原型となって、DEARから様々な参加型教材が発刊されることになる。
また、ここを契機として、その後、参加型手法ノウハウの共有が進み、今日DEARは参加型教材を次々うみだすようになっている。

2) 1994年からDEAR内 「開発教育研究会」 で開発教育の定義再考

・・・ DEAR理事有志による研究会だったが、研究は3年後の1997年に結実した。
その定義は現在も開発教育協会 (DEAR) の公式見解となっている。

3) 2002年からの参加型教材 『援助と開発』 改訂作業のなかで貧困概念見直し

・・・ 貧困と格差は、今もなお、世界の最重要課題であるが、それは開発教育の最も主要なテーマでもある。(開発教育の支柱は貧困~開発~国際協力)
その内容は 『開発教育No.51』 (2005/2) に改訂タスクの中間報告として発表した。
全面改訂した 『貧困と開発』 は、その年の夏に完成した。

なお、『開発教育No.51』 に発表した拙論の目次は次の通り。

→ 「貧困と開発に関する一考察 ~ 『援助と開発』 改訂タスクの中間報告を兼ねて」
    はじめに
    「貧困と開発」 に関する学びの構想
    1) 『援助と開発』 の意義と改訂の必要性
    2) 新しい 「貧困」 と 「開発」 の概念
    3) J.フリードマンとA.センによる新しいパラダイム
    4) 「貧困と開発」 を学ぶ視点
    おわりに

 当時もっとも緊急だったのは、貧困が 「欠乏としての貧困」 としか捉えられていない現実をのりこえることだった。

「開発」は (端的には) 「貧困の克服」 であるから、貧困概念が問い直されれば、開発のあり方も必然的に変わる。
その意味では、新しい貧困概念は、既に、開発教育の定義再考の過程で、暗黙のうちに了解されていたとも思う。

けれども、それ故にと言うか、「欠乏としての貧困」 のみでなく、「剥奪としての貧困」 を組み込む転換で、セン研究の掘り下げ不足が課題として残された。そして、この事実が現在の自分に大なり小なり影響している。

4) 拓大 「開発教育ファシリテーター講座」

・・・ 日本でも徐々に進んでいた 「教わるから学ぶ」 への教育観の転換は、「知る~考える~行動する」 を旨とする開発教育では切実な課題であり続けてきた。

私たち 「国際開発教育センター」 スタッフは、teacher でなく、learning facilitator としての教師像を求めて、ワークショップ型授業を組んだ。
これは、まさに、今日のアクティブ・ラーニング (主体的対話的な深い学び) と連動している。

 そして、座学にとどまらない開発教育の展開として、社会について学び続け、更に、民主的に公正で共に生きることのできる持続可能な社会を、”対話” を軸に民主的に築き上げることをめざす市民活動を模索している。

 ひいては、差別と紛争のない世界、つまり 「構造的暴力」 のない積極的平和の実現が最上位のゴール (ビジョン) である。

・・・

 以上、近年(1990年代以降)の私の経験をまとめてみた。

「私は、どこから来て、今どこに居て、これからどこに行くのか?」
について、自分なりに整理して一息ついている。

 人生には、光も影も、様々にまとわりついている。
また、人生に所与の ”意味” などはない。
同様に、この社会にも、所与の解はない。
ポジティブに、自分たちの ”意味” や解を創り出していくのが人生。
大切なものを共有できる人と共にあること、協働できること ・・・ が人生の宝と私は考えている。

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