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2018年3月 3日 (土)

私の二毛作人生(その3)

 私は今、癌というのっぴきならない病いに直面して、前ばかり向いていればよかった生き方から、少しこれまでをふりかえる心境になっている。
 自分という存在は、どこから来て、どのように在るのか?
 まがりなりにも曹洞宗であることから、禅問答のような解を考えたりもしているが、現実世界で、私はどう生きて、どこに向かうのか?

 このことは、ある意味、自分のライフワークについて考えていることになろう。
そうしたことを自分に当てはめるとどうなのか?と。

 かつて、高校を退職するとき、心ある方々に開いていただいた送別会の席上で、こんなことを話した。
 「退職後の人生はこの世のカケラを大切にしていきたい。今後ともよろしく。・・・」
カ・ケ・ラとは、家族・健康・ライフワークの頭文字をつないだ造語にほかならない。(^-^) 

 私の人生の柱であり糧でもあったのは教育の仕事であった。
ゆえに、取り組んできた開発教育での営みを書いてきた。
 そして、今現在は、開発教育の隣接というより帰着と考える地域における 「多文化共生」 の取り組みに辿りついた。
 
 「その1」 で書いたように、開発教育は、世界の貧困・格差などの地球的諸課題に向き合い、「解決の道は何よりも経済成長」 とされている現実の光と影を見据えるなかで、より良い社会への解 (”もうひとつの開発”) を模索してきた。

 このことの世界的潮流である、SDGs(持続可能な開発目標)では、総合的に17の目標を掲げている。
 ここでの 「持続可能な開発」 推進の基本は、環境・経済・社会的要因である。

 そして、いっきに結論に近づくが、今日、もうひとつの要因は、地域における多様性尊重なのである。
 「その2」 で触れたように、多文化共生とは、単に ”異文化理解” にとどまらない。多文化共生とは、”多様性尊重” つまり ダイバーシティ (多様性受容) が協働する地域創生と私は考えている。

 そうした地域での開発のあり方こそが、今日必要な究極のものと考える。
そして、それに不可欠に付随するものとして、私は 「対話のある社会」 を構想している。

 それには、対話のコミュニケーションが大切だが、それはいかなるものか?
現代のグローバル社会の共通言語とされる英語でのコミュニケーションだろうか?
今日では、AIによる自動翻訳技術が期待できるが、これには言語数に限界があるだろうし、時間もかかるだろう。

 このことについて、庵功雄著 『やさしい日本語~多文化共生社会へ』 (岩波新書) はひとつの解を示している。
 すなわち、日本に在住する人たちにとっては英語が得意とは限らない。そうした環境下で、現実的にみて、英語は共通言語になりえない、と。

 庵先生が模索しているのは、<やさしい日本語> の確立と普及である。
このことは、私が現在支援している、片親が日本人の外国につながる子どもたちには一層当てはまる。

 <やさしい英語> でもかなり深い内容が話せると考えられているように <やさしい日本語> で深い内容の対話ができるようなそんな言語環境にならないだろうか?

 <やさしい日本語> でしっかりと論理的思考力を駆使できれば、深い内容の対話が可能である。そのためには、小学校段階からの <日本語論理> を意識した国語教育が問われる。

・・・ こうした考察では、私は出口汪氏の日本語論理教育に多くを学んできた。
( なお、2020年度高校学習指導要領には「論理国語」という新科目が新設される )

 その内容自体はもちろん現在の国語教育に含まれている。
基本として日本語を構造として理解し、応用としては、文章の論理的関係を理解することに他ならない。

 大切なのは小学校一年から四年までの国語力だ。
このことが、学校教育に立脚した日本語教育(やさしい日本語論理)が重要と考えるゆえんである。
 小学校四年までの国語力(日本語能力検定N3レベル)を習得して、あとは語彙を増やしながら、ひたすら対話でコミュニケーションする活動が有効と思っている。

 現在の目の前の課題は、外国につながる子どもたちがどのように自分の人生を築いていけるのかであり、その子どもたちがどのように生きることのできる社会なのかなのだが、こうした先に見ているのは、地域における持続可能な社会の創生である。

 そのために、次の三段階を踏んでいくことになると見通している。
1.日本語論理に立脚した <やさしい日本語> の習得
2.<やさしい日本語> による対話コミュニケーションの実践
3.持続可能な多文化共生社会への多様な協働

 「アクション・リサーチ」 はこれらを進める手法として有効だろう。

 現在の私は、埼玉県「多文化共生キーパーソン」事業に参加しているが、地域でさまざまな人たちと連携していくことを志向している。
 市内では、早大所沢キャンパスのゼミとコラボする協働の道も拓けてきた。

 さて、ところで、私が今後癌の再発に襲われるならば、結末は道半ばの挫折となりうる。
以前は、そうしたことを考えるのがとても恐かった。
しかし、今その恐怖はなくなっている。
これまでの一毛作目をふりかえったとき、道半ばこそが人生と痛感したからである。

 人生は道半ばで終わる。
そのことをいつでも受け入れられるように生きようではないか!
・・・ そういうことだ。

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