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2018年2月27日 (火)

私の二毛作人生(その1)

 かの外山滋比古氏が 「人生二毛作の生き方」 を副題として 『50代から始める知的生活術』 (だいわ文庫) を発刊したのは3年前の2015年。
 ちょうど私は、30年ほど勤務した高校から大学に職場を移して10年という時期だった。

 高校から大学への職場転換はそれなりに大きなもので、これも 「人生二毛作」 のひとつかもしれない。
 しかし、同じ教育畑であり、巷にも転職はよくあることだから、これを人生二毛作とは言い難い。
 人生二毛作とは、現役を定年退職して、第二の人生をどう生きるかにかかわる。人生80年時代には、退職後の20年を昔ながらの ”ご隠居” で過ごすのでなく、何か別のやりがいあることで輝けるようでありたい。

 外山先生は、そうした人生はそれなりの生き甲斐を見つける必要があるので、その準備を50代から始めなさい、と説いたのである。

 理想は、たとえば、江戸時代の伊能忠敬。若い頃から家業をさかんにしながら、50歳にして家督をゆずり、まったく別の世界に身を投じた。(p.142)
 江戸に出て天文学を修め、その結果、日本最初の実測地図を完成させた。

 さて、私はといえば、大学退職後の第二の人生は、地域でボランティア活動に参加している。
 ただ、(残念な気持ち半分で書くが)、私の場合はまったく別の仕事でなく、同じ教育畑の延長線上にいる。
 これまでの開発教育からの延長で、主に外国につながる子どもたちに日本語と教科学習の支援をしているのだ。

 私の学問の師は退職後、制度派経済学研究から画家に転身され、個展まで開かれた

昔から、「本当は画家になりたかった」 とおっしゃっていたことを、定年後に実現されたのであった。
 人生の師と比較するまでもなく、私には教育畑にしか居場所がなかったということになる。

 念のために書き加えるが、何もひとつことで頭がガチガチだったわけではない。(笑
趣味的なことなら、かなり手を広げてきた。

 社会科教師の仕事に近いとなると、株式や為替投資は趣味の域を超えているはずだ。
特に、テクニカル性が高いFXは今ものめり込んでいる。
これらは、おカネと社会のあり方として、私の第二テーマとも思っている。
 ゲームもので考えれば、将棋や麻雀も若い時からかなり打ち込んだ。
今では別世界だが、若い頃は少林寺拳法、高齢になっては太極拳にも親しんだ。
また、小さな楽器が好きで、ハーモニカやウクレレも、先生について楽しんできた。

 けれども、これらは大概、ある程度のレベルに達すると、次に関心が移ってしまった。
要するに、人生を通してひとつの趣味を求道するのでなく、興味関心は広かったが、一貫してこれだけと言えるのは、糧としてきた教育分野というわけである。

 教育畑で、私が高校~大学を通じて軸にしてきたのは開発教育だった。
1990年代の10年間、開発教育協議会 (当時) の開発教育(教材作成)ワークショップを担当し、大学に移った2000年代以降は、開発教育ファシリテーター講座を担当したりしてきた。

 開発教育の魅力は、方向性はあるが解はなく、「解を探す」 教育というところにある。

 世界にはさまざまな課題がある。特に、開発教育の焦点でもある貧困・格差は、人類が切実に解決を求めている課題である。
 そこにおいて、解決策とされているのは昔も今も経済成長である。何よりも、経済が成長すれば、その分け前は広く配分(トリクルダウン)されて貧困問題の解決に寄与する・・・。
  
 けれども、あらゆる物ごとには光と影がある。経済成長至上主義もその影は隠せない。
現代のむき出しの市場原理はむしろ格差を拡大させてしまう。トリクルダウン理論は通用しない。環境面でも成長には限界がある。

 こうして、簡単に選択して一途に追求するばかりでは間違うのである。むしろ、影の部分をどのようにカバーするか考察して 「より良き社会を求める」 のが人間の生き方・考え方でなければならない。
 開発教育は、こうした部分にかかわって、学び~考察する教育である。

 覚えるよりも考えることを重視する開発教育は、受験教育にはそぐわなかった。
知識を軽視するかのように誤解されたが、課題解決の基礎となる知識・素養は決して軽視しない。むしろ、解を探求するための基礎知識と自ら学ぶ姿勢は強く求められている。

 こうした開発教育の内容は、今日、かなり受け入れられてきているように思う。特に、初等教育では、「解探し」 の学びが模索されていると言える。

 このことを、私は立大で (小学校) 教職課程を兼任していたときに実感した。教育実習にも出向いたが、そこでの実習は、「教える」 より 「主体的に学ぶ」 指導が尊重されていた。

 この意味では、開発教育は内容より方法の面で時代に受け入れられてきたと言える。
今日、”アクティブ・ラーニング” がさかんに言われるが、まさに、参加型授業の発展がここにはある。あるテーマについてグループで主体的に学び、それを発表し共有することで、学び合う学びである。
 学習指導要領は、これを、「主体的・対話的で深い学び」 と表現するようになった。

 
ここでは更に、この方法論は、さらに発展する余地があることを書き添えておこう。
 たとえば、ディベートでは、相手の論点を打ち負かした論点が採用される。しかし、ほんとうに対話的なら、その先に、協働して、2つの論点を乗りこえる解が創造されることが対話 (ダイアログ) の真髄である。
 あるいは、チーム学習のプレゼンテーション共有ののち、そこから全体の協働作業で解を創造していく学びが望ましい。キーとなる価値は「共創」 である。
ワールド・カフェなどの手法も、ここにおいて真に生きてくるであろう。

 以上が、私の一毛作目の総括。
 寄与すること微々たるも無き歩みだったが、時代の流れで、私の望んできた教育改革が明確になってきたことに喜びを覚えている。

 それでは、私の 「二毛作人生」 で、それは教育畑の延長上にあるというとき、その詳細は私の中でどういう意味合いなのか、それについては明日にでも整理してみたい。

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