« 最後の授業 | トップページ | 「生成的」 ということ »

2016年3月27日 (日)

今日の開発教育の課題

 3月22~23日にかけて、檜原村近辺のログハウスにて、早大山西ゼミの院生合宿があった。
  開発教育をテーマにしているということで、私にも声がかかり、ゲストとして参加した。

 総勢6名という少人数での特別合宿だったが、探求の筋道とそこでの検討資料が周到に準備されており、充実した共同研究を行えたと思う。

 最終的には課題ばかり提起され (今回それを整理する)、それを共有するかたちになったが、これだけの課題を内包しているからこそ、開発教育に素晴らしい可能性を再発見する研究活動だったのだと思う。
 私のここ12年の 「開発教育ファシリテーション」 の実践的検討も、これらの課題に対する対応であったことは間違いない。

 山西氏や私は、日本の開発教育実践の第二世代に属している。
今回共同研究した院生たちは私たちの孫世代あるいはそれ以下になる。
こうして、開発教育の可能性は、若い人びとに引き継がれていくことになる。

 東京近郊の檜原村は空気が澄みわたり、そこでの合宿は私たちに豊富なインスピレーションを与えてくれた。
そんな場の磁力が研究を一層活性化させ、朝の散歩ひとつとってもその地に居ること自体が楽しくなる合宿だった。


--

 さて、研究会には、院生の研究課題にそって3つの柱が用意されていた。

1.「貧困と開発教育について」
・・・ これまでの開発教育の貧困の捉え方・扱い方、さらに、開発教育の取り組みはどうだったか。これからの開発教育は、貧困をどのように捉え、扱っていくべきか?

2.「開発教育の <教育> について」
・・・ これまでの開発教育は <教育> をどのように捉えてきたか。どのように捉え直していく必要があるか。さらに、実践のあり方はどうか。

3.「開発教育の変遷から見える発展と課題について」
・・・ テーマ1~2から見えてきた問いを探求する。

 こうしたテーマ設定に対して、私が受けとめた問題意識は、

1.については、従来から開発教育が提起してきた、「経済開発」 (経済成長主義) を超える 「もうひとつの開発」 論を今日ではどう展開するのかということ。
 開発教育は、半世紀を経てきたが、経済成長主義はますます強化され、それに代わる開発のあり方は、説得力をもって機能していない。
 このままでは、私たちが恐れるように、「貧困と格差」 はますます拡大し、持続可能性の面からも、成長主義経済は自らの首を絞めるかたちで進んでしまうだろう。

2.については、グローバルな視点で課題に向き合いながら、公正で共に生きることのできる人間形成 (社会形成) をめざしてきた開発教育だが、その内実はどうかということ。
さらに、「知る~考える~行動する」 という学びのプロセスは果たして真に機能してきたのかということ。
 実際には、開発教育の定義(※注1)にある 「公正」 というコンセプトも、なぜ定義は 「公正」 とは何かを明らかにしないのか? なぜ 「持続可能性」 を中心に組み込んでいないのか? など、受動的に何かを与えられることを待っている状態にある。
 このままでは、「公正」 について真に向き合う実践は期待できないし、「自然との共生」 についても、開発教育らしい展開を自ら制限してしまうだろう。

※注1 : 開発教育の定義 (1997)
・・・ 私たち一人ひとりが、開発をめぐるさまざまな問題を理解し、望ましい開発のあり方を考え、共に生きることのできる公正な地球社会づくりに参加することをねらいとした教育活動。そのために、次の学習が伴う。
1) 開発を考えるうえで、人間の尊厳性の尊重を前提とし、世界の文化の多様性を理解すること、
2) 地球社会の各地に見られる貧困や格差の現状を知り、その原因を理解すること、
3) 開発をめぐる問題と環境破壊などの地球的諸課題との密接な関連を理解すること、
4) 世界のつながり構造を理解し、開発をめぐる問題と私たち自身との深い関わりに気づくこと、
5) 開発をめぐる問題を克服するための努力や試みを知り、参加できる能力と態度を養うこと。

 研究会は、こうした問題意識を拡充するかたちで進展した。
そして、最終的に、整理した課題は次のように精選できる。

■ 開発教育の課題 (1) : グローバルな現実と表裏をなすローカルの視点の実践例不足。グローバル社会だからこそ足元の地域が問われる。

■ 開発教育の課題 (2) : 地域を掘り下げることで世界につながる認識に到る開発教育的な学びの不足。これでは開発教育ならではの存在意義を失う。

■ 開発教育の課題 (3) : 開発教育のコンセプト (公正で共に生きることのできる社会) の特に 「公正」 とは何かをテーマとして正面から向き合い/掘り下げる実践~教材の欠如。
定義の言葉いじり以前の問題。

■ 開発教育の課題 (4) : 行動 (社会参加) 段階の手法の未整備。ゆえに知る~考える実践から主体的に行動する段階に進めない。
最近の注目すべき手法はホールシステム・アプローチ(ワールド・カフェ、AI、フューチャーサーチ、OST) だが、社会参加の学びとしての プロジェクト学習 が課題となっている。

■ 開発教育の課題 (5) : 学びの基礎をなす対話 (ダイアログ) の言語活動 (コミュニケーション) の不足。
ディベート論争も大切にしつつ、ダイアログ弁証法の思考形態を重要視するこそが新しい未来を共創するだろう。

そして、最後に、私は自分の研究成果を開示するかたちで、次のことを提起した。

● 「経済成長が答え」 という偏りに対して経済開発でないプロジェクトを立ち上げ、「連帯経済」 の学びをしくむプロジェクト学習の実践が求められている。

 「知る~考える~行動する」 開発教育のプロセスで、「行動する」 とはどうすることかが問われる。
 さらに、知って~考える段階でテーマを掘り下げ、コミットメントする深い源に到達することで、行動のプロジェクトを社会に発現していく、いわば 「U理論」 のUの字の営みがここにはあるだろう。
 ファシリテーターとしての教師は、授業を参加型で深める存在だが、それだけではなくて、課題を主体的に自分事として捉え、アクションへの問題意識を深め、行動のアイディアを創りだしていくことが問われる。
 学習者が獲得するエンパワーメントとは、(失敗も貴重な学びとして) みんなの意見交換が十全に保障された、質の高い行動~社会参加する力となる。

 開発教育の偏りのない実践は、ここでの内実に現れるだろう。
ゆえに、私は、教育ファシリテーションの手法の究極に、ホールシステム・アプローチのOST (※注2) を置いている。ここに至る 「アクティブ・ラーニング」 こそが開発教育の本質的展開であると確信している。

※注2 : OST (ハリソン・オーエン、1985)
Open Space Technology の略で、「(アクション設計の) 場を開く手法」 を意味する。
参加者が自ら主体的にテーマとスケジュールを決めて進めるしくみであり、実行チームを編成してフォローしていくノウハウである。
たとえば、考えることで終わりがちな ワールド・カフェ の話し合いを実行に移すための手法として普及している。

« 最後の授業 | トップページ | 「生成的」 ということ »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/559271/63401653

この記事へのトラックバック一覧です: 今日の開発教育の課題:

« 最後の授業 | トップページ | 「生成的」 ということ »