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2012年12月 3日 (月)

開発教育ファシリテーションの到達基準

 開発教育ファシリテーター講座の合宿が終了した。参加者が精一杯のプレゼンテーションをなすことで、スタッフである私にも大きな学びがあったと感謝している。今回は、1年間の講座の合宿時点での到達基準が問われたのだった。私たちの講座ではそれをどのように考えているかを整理しておこう。

 まず、合宿のねらいなどの全体像を説明するために、昨日更新したばかりのHPのコラム欄を転記する。
http://www.ne.jp/asahi/onuki/hiroba/

→開発教育ファシリテーター講座の合宿(第二次)が終了。
 後期の目標である 「伝え深めるアウトプット」 を泊り込んで実習する機会。
 私たちのファシリテーションにとって 「伝える」 とは、説明するよりも気づきを助けること。
 メッセージを口ではなくアクティビティで語らしめるべくファシリテートします。
 テーマ別にアクティビティを5つ持ち寄って実習しましたが、
 私にとっても学びの多い合宿でした。感謝。

 5つのグループが成果を持ち寄っており、各々が苦心のあとの見える素晴らしい出来だったが、私はあえて、到達基準をもちだして 「道半ば」 か否かの検討に留意した。(まだ現段階では 「道半ば」 が通常だが嬉しいことに想像以上の成果がでていると思う

 その到達基準とは、上に転記したコラムの通りである。説明ではなく、体験なのであり、さらに主体的な「気づき」へのいざないにこそ、ファシリテーションの真髄を見ている。


 私はファシリテーターなら誰もが座右の銘にしているはずの言葉の確認を重視した。
 曰く

 「聞いたことは忘れる。
  見たことは覚える。
  体験したことは理解できる。
  見つけたことは自分のものになる」


 同じ参加型でも、口で説明しながら体験で補うタイプのアクティビティがある。ここにも完成度の高さは期待できるが、上の判断基準からすると、最後の段階に達しているとは言えない。
 私たちの講座はこのあたりにこだわり、伝え深める方法、ファシリテーターの実践的心得を重視している。このことが、学校教育における授業改革や特別活動での主体性育成に関連していることは言うまでもない。

 参加者のふりかえりシートを見ると、こんな文章があった。
→ねらいはチームで早くから一致していたのですが、参加者に気づかせる仕掛けを作ることは本当に難しいと思いました。
 特に小貫先生が1日目にコメントされていた
 「ファシリテーターがねらいを説明/タネあかしをするのはNG」
 というのが頭をガツーンとやられた感じでした。

 私のこうした挑戦の原点は、1990年代を通して実施した開発教育協議会(現開発教育協会)の 「開発教育ワークショップ」 の教材作成の試行錯誤である。現在の 「開発教育ファシリテーター講座」 の方もまたたくまに9期を数えた。

 今期の9期生も素晴らしい人材が集まり、切磋琢磨している。間違いなく、年度末の最終プレゼンには、現在よりもっと完成度を上げてくれるだろう。
 講座修了にふさわしい力量を生みの苦しみのなかから身につけることだろう。
 そして私を超えていってくれることを、私は楽しみにしている。

 

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