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2012年3月17日 (土)

社会構成主義の視点で教育を問う

 社会構成主義で展開する教育というと、私は 「学びの共同体」 を思い浮かべる。ここでは開発教育に関連させて社会構成主義で展開する教育について整理しよう。主に開発教育を念頭に置くが、「学びの共同体」 のみならず、広く教育一般に汎用するものとして考える。

 社会構成主義は、「物事の ”意味” は客観的事実にあらずして社会的な構成物である」 という考え方である。社会構成主義によれば、この世に絶対的真理は存在しない。つまり、絶対的に揺るぎない物事の ”意味” は存在しない。絶対と思われているものは、あくまで人々の社会的やりとりによって絶対視されているにすぎない。それは創りだされたものである。

 ここで大切なのは、この世にたった一つの解があると素朴に信じ込み、その知識を効率的に教授することが学習と信じ込んできた教育のあり方への疑問である。

 現代は、近代の教育制度が是として信じ込んできた ”たった一つの解” を理解し覚え込む学習では、真に 「生きる力」 を培うことはできないだろう。今日求められる力は、「変化への対応能力」 であり、「創造的な思考能力」 ではないだろうか?

 そもそも、”知識” とは何か? 本来、”知識” とは実際に使われる状況と関係性をもち活かされるものである。それが生きた ”知識” である。けれども、近代以降の ”知識” は客観的に把握できるものとし、分析し構造化することで効率的に教授するものとなってしまっている。抽象化されて、実際に使われる状況からバラバラに切り離されきた。

 ゆえに、その観点からの ”学習” とは、バラバラに切り離された ”知識” をいかに正確により多く習得するかになる。このことは、試験におおいになじみ、暗記力の優れた子どもに優位の偏差値教育にもつながった。

 基礎 ”知識” として社会的に規定された事柄を身につけることを否定しているのではない。問題は、学校教育がいまだにこうした支配的な教育観に甘んじているとしたならば、それは明らかに時代遅れということである。

 今日の社会状況はたった一つの解があるなどという単純な世界ではない。解のないオープンエンドとも考えられるが、実は、さまざまな観点からの解が多様に存在して、何を解とするかは、状況に応じて人びとが意思決定していかなければならないのである。

 ゆえに、教育に求められる 「生きる力」 (あえて 『学習指導要領』 の用語を使う) とは、生徒が主体的に深く考え、協同して学び合う (「学びの共同体」) 学習、各自の多様な表現を理解し合い、探求を社会に提案していけるだけの学びが問われると考えられる。

 こうした観点が社会構成主義で展開する教育の教育観であると私は考える。勿論、ここに一般化した ”教育” を ”開発教育” と言い代えることができるだろう。

 教育における構成主義の視点として次の3点に注目しておこう。(久保田賢一)

1) 学習とは学習者自身が知識を構築していく過程である。

2) 知識は状況に依存している。

3) 学習は共同体の中での相互作用を通じて行われる。

 こうした視点から出てくるのが、「対話(ダイアログ)」 の重要性である。学びのプロセスで相互に理解を深めていくのがコミュニケーションとしての 「対話(ダイアログ)」 である。

 さらに、「対話(ダイアログ)」 においては、先に触れた多くの解から、状況に応じた解を導き出すのみでなく、解とされるものを更に疑い、その前提から探求し直すことを含んでいる。

 開発教育と 「対話(ダイアログ)」 については、次の機会に稿を改めることにしよう。 

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