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2011年7月28日 (木)

『原発事故、放射能、ケンカ対談』 を読んで

エキサイティングな本を読んだ。『原発事故、放射能、ケンカ対談』(幻冬舎、2011)。休憩もせず一気に読み切ったのは実に久しぶりだ。「ケンカ対談」というタイトルに魅かれ、しかも、副島隆彦対武田邦彦 の顔合わせが面白くて購入したが、期待以上に刺激的な討論である。

この対談は、2011年5月3日に行われている。まずはこの日付が重要。対談の流れは、原発事故の責任は誰にあるか(第1章) ~ 「1ミリシーベルト/年」 問題(第2章) ~ 「原則」か「現実」 か(第3章) ~ 専門家の意見はなぜ分かれたのか(第4章) ~ 原発の安全問題と将来(第5章) ~ 個人の健康と社会の復興(第6章) となっている。

討論の焦点は、「放射線量は果たしてどこまでが安全か?」 に関する対立である。特に、「1ミリシーベルト/年」 をめぐっての対立。その科学的根拠だけでなく、その考え方の相違が興味深い。

多彩な評論活動で知られる副島氏は 「現場主義」。何度も現地に足を運んで放射線量を計測している。3月にいち早く 「安全宣言」 をしたのはなぜか。武田氏は、原子力を専門とする大学教授として、今なお、放射能の危険性を警告し続けている。

武田氏の発言の根拠は、国際放射線防護委員会(以下 ICRP)の2007年勧告で、平常時1ミリシーベルトとしていること。この基準はコンセンサスであるから、これに反することは異常とみる。まして、100ミリシーベルト/年なら健康への影響は心配ないとする判断に真っ向から異を唱える。1ミリシーベルト規準の根拠は、1億人に5000人がガンで死亡したというデータによるようだ。(ただし、ICRPは、緊急事故後の復旧時は 1~20ミリシーベルト、緊急時は20~100ミリシーベルトも認めている)

副島氏の 「安全宣言」 の根拠は、実際の計測値の低下ばかりでなく、ICRPの(緊急時の)許容範囲であること、御用学者ではない専門家も心配しすぎることはないとしていること、さらに、福島原発事故で放出された放射線量は、チェルノブイリの全放射線量(370万テラベクレル)の1000分の1とした西村肇東大名誉教授の計算結果に立脚しているという。

この違いの本質は何か? いったいどちらがまっとうなのか?

副島氏がこの対談で明らかになったとしているのは、放射線量をめぐる対立の根本は、科学的根拠をめぐる学問上の論争と言うより、「危険の感覚」 すなわち個々の人間の持つ 「恐怖心」 の問題だということ。

データの扱いでも、1億人に5000人がガンで死亡とされるが、これは子どもが対象であろうから、弱い赤ん坊や子どもは特別に守る必要がある(ゆえに、学校の安全基準を20ミリシーベルト以下とした政府判断の問題性は明らかだ)。ただし、この規準を全体に適用することは普遍性を持ち得るのか、が問われているように読めた。

つまり、本書で興味深いのは、「福島県から他の県へ避難せよ、とか、人々が簡単にはできもしないことを、あなたは平気で言うところがある。できもしないんですよ、そんなこと。一部の大金持ち以外は。あなたの言っていることなんか現実の社会では通用しません。」  (p238-239) と言う副島氏の言葉である。学者としてのまじめな発言が、非現実的という、この言葉の意味は重い。これは政治的葛藤でもあるが、元はといえば、原発事故ゆえの矛盾だ。

この書の面白さは、次のような事実が読み取れることにもある。

政治を専門とする副島氏は、「権力者というのは恐ろしい」 「民衆なんて虫けら同然なんです。本心は。」 と発言し、「福島第一原発のまわりに住んでいる人たちはもう仕方がない。あきらめてくれみたいな気持ちに権力者はなっている、きっと」という。武田氏も同調している。
武田氏は別の箇所で、過去の原爆の問題や機械の打ち壊し問題を例に出しながら、「技術者は、社会を見る目がある意味、独特なんです。」 と言う。これは、技術者はあくまで科学技術の追求者であって、「人間を虫けらのように殺戮する 原爆」 を
創り出す存在でもあるということだ。技術のもつ2面性だが、原発はどうだろうか ・・・。

武田氏は、純粋な気持ちをもった学者であると思う。私は基本的に共感する。しかし、社会性という面では、副島氏の指摘の前に分が悪かった印象だ。

最後に、武田氏の興味深い動向について。

武田氏は、日本の原発の安全性について、地震に弱く、震度6でも事故を起こすこと、今回の福島原発事故でも、電源の多重防御すら出来ていないことが露呈したことをあげて、疑義を呈し続けている。
その結果、本書では、このように発言している。「安全な原子力というのは、もしかしたらないのかもしれない」(p34) 、「これだけ政府が嘘を言い、東電がサボるようでは、原発を安全に動かして行けること自体が幻想だったのではないか」(p122)。そして、原子力発電所を新しく造ることは日本ではもう無理、国の基準を無視して安全性を上積みして造った原発以外は停止し、当面は火力発電を中心にして、国民はエネルギー量を2割くらい減らす努力をする ・・・ といったことを話題にしている。

ところが、ところがだ、武田氏の近刊 『エネルギーと原発のウソをすべて話そう』(産経新聞出版、2011.6.1発刊) の内容には少々驚いた。原子力発電は必要だから 「50年後に再開」 を主張している。
もともと自然エネルギーに懐疑的だったから想定内とも言えるが、本書と同月の出版だけに、本書での発言に別のニュアンスがあった方が誠実だったのではないか。
再開の根拠は、宇宙には原子力エネルギーしかないこと、太陽光すら太陽の 「核融合」 によって生まれているということ。かくして、「安全な原子力発電推進派」 であることを表明している。

p123にこういう記述があるからこちらが決定版か?
「2011年の5月3日のこの時点では、武田さんはどちらなんですか。”安全な原子力推進派”の立場をまだ維持されているんですか」
「いえいえ。もう反対ですね」
一方で・・・
「さまざまなリスクをある程度負うのは仕方がない。おそらく国民もそうだそうだと言うだろうから、結果として私は原発は動くことになると思います」
長期的には、再び 「安全な原子力発電推進派」 ということになることも予感させる。

この摩訶不思議さが、本日のブログのオチである。(笑)

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