« 「持続可能な社会と平和」 覚書 | トップページ | 『原発事故、放射能、ケンカ対談』 を読んで »

2011年7月27日 (水)

開発教育に関する質疑応答から

先日、「開発教育ファシリテーター養成講座」 における 「開発教育」 の補講が実施された。そこでの質疑応答の内容をまとめておきたい。質問内容には、現8期生の優秀さも垣間見えるのではないかと思う。

補講は、赤石先生による補助解説ののち、日頃の疑問を幅広く出し合う質疑応答を行った。

補助解説は、4月の集中講義資料で、開発教育の歴史的経緯を概観しながら、特に、1976年のUNICEFペーパーの Robin Burns の論文を検討し、そこから、開発教育の2側面を整理した。(1) 社会的側面としての 「開発のあり方を考える」 教育と、(2) 個人的側面としての 「地球市民として生きることをめざす」 教育とである。

さて、質疑応答は、疑問を参加者全員に出してもらったが、集約すると以下の通り。

1) 開発教育に 「答え」 はあるのか? どのように実践に役立つのか?

2) 広い領域の本質をどう整理できるのか?

3) 「開発のあり方」 の考察は、北の国々にも妥当するのではないか?

4) 学問としての開発教育の位置づけは?

5) 北は南の犠牲の上にあるという認識は、普及しにくいのではないか?

6) 学校現場では、開発教育実践の場や教員養成が必要ではないか?

7) 開発教育は、誰のための教育なのか?(誰のための開発?)

8) 現実は、ODA広報として、答えが用意されている面があるのではないか?

9) 南の国々の開発教育はどうなっているのか?

10) 開発援助の現実は、南の国々の自立を妨げていないか?

・・・ とてもエキサイティングな質疑応答であったと思う。私自身の今後の課題として受けとめるだけの内容を含んでいる。

赤石先生の応答では、南の国々の開発教育の紹介 (タイやネパールなどの自立とエンパワーメント) が興味深かった。

そのあと補足した私の発言は概ね次のようなものである。

「開発教育に解なし」 というのは正確でないことが確認できた。ただし、「たったひとつの正解がある」 とは言えないということ。むしろ、幾つかの 「解」 を考察するのである。人間の行動は、その考え方に基づいている。

たとえば、開発援助は、援助する側の 「望ましい開発」 の考え方に基づいている。開発教育は、常に 「より良き開発のあり方」 を問い続ける。つまり、行動につながる知識と思考(判断)を学び続けることが重要である。

開発教育が 「オープンエンド」 とは、深く考え続けて、より良いあり方を探求することを意味する。(思えば、ほんとうの 「学力」 とは、「正解のない問いを考え続ける力」 なのではないだろうか)

また、開発教育は幅広い課題を対象としているが、そこには ”アイデンティティ” としての軸がある。柱は、「貧困~開発~国際協力」 である。これらを外した 「グローバル教育」 だとしたら、いかに地球的諸課題を幅広く取り扱っていたとしても、それは開発教育とは言い難い。

ただし、開発教育を 「特殊な教育分野」 と考えなくとも良いのではないか。たとえば、その内容は、社会科教育のなかで矛盾なく取り扱うことができる。開発教育のカリキュラムや参加型学習の普及がカギとなる。途上国に対する偏見を植え付けてしまうリスクも現実的課題である。

開発教育は自ずと 「価値」 教育の側面をもつが、価値観を押し付けるものではない。それでも、その ”アイデンティティ” は国際人権規約に立脚しており、大枠で、「公正」 と 「共生」 を基本のコンセプトとしている。今日では、「持続可能性」 が着目されている。今回の質疑に照らせば、「自立」・「参加」・「エンパワーメント」 などの概念が重要である。

« 「持続可能な社会と平和」 覚書 | トップページ | 『原発事故、放射能、ケンカ対談』 を読んで »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/559271/52320749

この記事へのトラックバック一覧です: 開発教育に関する質疑応答から:

« 「持続可能な社会と平和」 覚書 | トップページ | 『原発事故、放射能、ケンカ対談』 を読んで »