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2010年12月 2日 (木)

『貧困と学力』のその後

一昨日、某研究会に呼ばれました。「貧困・格差・暴力と社会科教育」をテーマとする会で、東京学芸大のS教授を発起人にして、千葉大・横国大関係の研究者・教員・院生も参加しています。その会で、2007年刊行の『貧困と学力』(岩川直樹他編、明石書店)が目にとまり、私の論文(「貧困と学力の再検討」)についての話を聞きたい、そうした問題意識について社会科がどう実践できるかを考えたいとのでした。

『貧困と学力』発刊からもう3年になります。その後の私は、教育方法論や総合演習などの講義を通して、”授業のあり方” を考え、開発教育協会内「開発教育カリキュラム研究会」の研究成果である 『開発教育で実践するESDカリキュラム』(2010) に描いたように ”地域から世界とつながる総合学習としてのESD” の方向に向かい、さらに今春からの「開発教育システム思考研究会」 で志向している ”システム思考による問題解決学習” の方向に向かっています。

これらを含めて、現在の私の基軸ともなっている 『貧困と学力』 の問題意識と現状分析の整理、さらに教育における対応に関する整理の機会を与えてもらえたと受け止め、参加しました。

当時の私の問題意識は次の2点でした。

(1)日本の貧困に関して、当時関心をもっていたアマルティア・センとジョン・フリードマンの ”剥奪としての貧困” 概念が日本にも当てはまることの考察です。特にここでは、フリードマンの 「力の剥奪モデル」 における  ”教育アクセスへの欠如” が焦点でした。

(2)日本の教育に関して、当時拓大が文科省「国際教育協力イニシアティブ」の拠点校を引き受けていて、東北タイの教育GNOと連携していたのですが、そこでの ”教育の量的拡大から質的拡大への転換” のテーマが日本にも当てはまることへの考察です。

発題前半は、日本の貧困について。

貧困率15.7%(OECD2007)、ジニ係数0.4(厚労省2008)に関して、厚労省の「国民生活基礎調査」を基に検討。湯浅誠著『反貧困』の分析や大阪府立西成高校『反貧困学習』の学習テーマ等も参考にしながら基礎的知識を共有。

ここに見えてくるのは、「経済の貧困」(金銭的欠乏)と「関係の貧困」(社会的排除)を軸とする貧困の多元性です。ここで重要なのは、日本に「絶対的貧困」はないということでなく、これらは絶対的に充当しなければならない貧困要因として現れているということです。そして、雇用のセーフティネットが崩壊してしまっている現代の貧困においては、企業福祉も公的福祉も機能不全に陥ってしまっているという現実です。”ゆたかな社会”とは? が問われます。

発題後半は、子どもの貧困と教育について。

子どもの貧困率14.2%(OECD2007)は7人に1人に当たります。教師が直面する子どもたちの現実は、就学困難、授業料滞納、(高校生の)無保険問題等 深刻です。子どもたちの教育アクセスの実態は危機的です。

加えて、次のような事態への対応が問われます。

まず、”貧困”と”学力”には相関性が検証されており、格差の固定化が懸念されるということ。次に、そもそも、”学力”とは何か?、たとえば、”社会科は暗記科目” と受け止められている現実があるとき、それはゆたかな学びを保証しているか? ということ。そして、教育においても 「関係性の欠如」 が大きな課題ということ。他者への関心の希薄化、いじめ、薬物等の少年犯罪の増加等が関係しています。

教育の質的向上が問われるのだとしたら、これは「教育の貧困」でもありましょう。私たちこそ、日本の教育の改善が問われるということです。

最後に、研究会のテーマである社会科の対応についてまとめました。

私自身の対応としては、すでに上述した3方向(授業改革、ESD、システム思考)です。ESDは実質的に市民教育と一体です。さらに、今回の研究から必然的に出てきたのが、「反貧困学習」です。また、市民教育に対する私のこだわりは、市民教育とはイギリスの開発教育の実践形態である Global Citizenship Education ということです。

さて、研究協議に全体の半分の時間を当てていたのですが、具体的な内容では次の3点に多くの時間を割くことになりました。

1つは、日本の貧困を考える場合も、国際金融、国際貿易などのグローバルなしくみが根本的に関わってくる。それについてどう対応するのかという課題。ここで私が示したのはシステム思考を推進する際の考え方でした。つまり、テーマは具体的な課題解決なのであり、そこでの世界とのつながりは、しっかり認識すべき問題だが、それはあくまで外部要因であって、その分析にとらわれることは別問題ということです。

2つめは、世界とのつながり方の難しさです。すでに、1つめの学びのプロセスで、世界とのつながりの認識はなされていますが、開発教育で実践するESDでは、「地域の課題は世界の課題」 を合言葉に取り組みます。これはグローバリゼーションの本質でもあります。そして、私たちの地域の課題解決の取り組みが、あるいは私たちが変わることが、インターネットを仲立ちとしたネットワークでたちどころに世界の諸地域と連動する可能性を意味します。これが本来のつながりのあり方ではないかと私は考えています。

3つめは、問題解決学習での解決策が安易になりがちなのだが、どう対応できるかということです。例として出たのが世界の貧困問題に対する「寄付」でした。一概に寄付が安易な結論と決めつけることはできませんが、対象国は遅れていて、日本に生まれて良かったで終わってしまい、解決策として寄付で貢献しようというのは、開発教育の警戒すべき形態です。研究会では、解決策にはその有効性の検証が必要で、そこまで含めた学びが重要という話になりました。

今回、研究会に参加することで、改めて問題意識や問題分析の整理ができ、質疑応答や研究協議で刺激を受け、とても勉強になりました。そして、感想としては、現在研究途上であるシステム思考の考え方や学びのプロセスは有効であり、学校教育にもっと普及されるべきではないかということを強く感じたのでした。

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