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2010年11月19日 (金)

「総合演習」廃止への抗議

 あまり話題になっていませんが、大学の教員養成課程で、必修 「総合演習」 がなくなります。この科目は、21世紀の総合学習のあり方を探求する科目。2002年からの 「総合的な学習の時間」 新設に伴い設けられた経緯があり、その意味では、実質的に、そこでの総合学習を実践できる人材養成のために設けられたと捉えることができましょう。新学習指導要領に伴って、その「教職に関する科目」としての総合演習が廃止されることになりました。

 文科省による 「教育職員免許法施行規則」 改正の理由説明によれば、次の3つの事項が挙げられています。

 ① 文部科学省が昨年実施した調査において、「総合演習」と同趣旨の科目が教養科目として開設されている。そのほか、人類に共通する課題や我が国社会全体にかかわる課題について取り扱う科目は各学部・学科の教育研究内容に応じて多数開設されている。

 ② 各教科専門科目、各教科の指導法、教育の方法及び技術等の科目において、人類に共通する課題等の内容が取り扱われる例も多い。

 ③ よって、「総合演習」 を 「教職に関する科目」 としては廃止することが適当と考えられる。

 私は複数の大学で この「総合演習」 に関わってきましたが、その際の「ねがい」は、教科の枠内ばかりでなく、総合学習を実践できる教師、懸命に授業に取り組んでいれば自ずと総合的な学習になるはずだけれど、だからこそ、「総合的な学習の時間」を持て余すことのない志向性のある教師になってほしい・・・というものでした。

 ①は方法論の観点からは理由になりません。もちろん 「人類に共通する課題」 は重要ですが、「総合演習」の学習課題は授業内容の問題だけではないからです。②も実態とかけ離れています。私は、総合学習のもつ意義を理解し、教科横断的なテーマの探求をいかに実践できるかが重要なのであって、これこそが 「総合演習」 ならではの学習課題と考えます。教育方法論、社会科指導法なども担当してきましたが、それらの科目では取り扱えない学習課題が「総合演習」にはあるということです。

 この廃止は、「日本の教育」の後退であると私は無念に思います。いわゆる ”学びの転換”(学習の転換 等)は、「自ら主体的に学ぶ」 教育として、少しずつ浸透してきました。いまだに、例えば社会科は「暗記科目」の傾向を抜け出せていない、などという懸念を残すものの、「”教える”(教え込む)から ”学ぶ”(主体的に考える)へ」 の転換が進んできていることは確かでしょう。それと軌を一にした発展形態が「総合的な学習」だったはず。

 私は、「総合的な学習の時間」 を骨抜きにするものと強調せざるを得ません。

 さて、私の後期の授業は、「総合学習を創る(カリキュラムづくり)」 がテーマです。いよいよ、後半は ”実習” に入ります。実習では、学生自身のテーマに関する学びを伴いながら、次のような事柄を共有して進めます。(クラスづくりを前提として)

 カリキュラムの指針は、「総合学習は、子どもの主体的な学習の拡がりと、教師による主体的な意図・綿密な計画で織りなす ”学びのコラボレーション”」 ということです。

 次のようなことを考慮しながら、カリキュラムづくりに取り組んでいます。

A 総合学習のテーマとねらいは、教師の側の主体性が問われる。ねらいは ”ねがい” でもある。子どもの興味・関心の喚起に留意。

B 身近な素材から教材化のアイディアに挑戦しよう。教科発展型の学び、教科横断型の学びなどをウェビングしよう。

C 素材とテーマをどう拡げるか、どこをどう掘り下げるか。(問いをどう立てるか?)

D 教科の指導案同様に、「つかみ~本体~ふりかえり」 という学びの構成(プロセス)に留意して構想しよう。

E 学習のポイントを、総合学習の 「ヤマ」 として展望しておこう。

F 子どもの主体的な発展を可能な限りウェビングで見通す。(さもなくば実践で修正)

G 地域/行政のリソースとの出会いを築くために、教師は協働学習のコーディネーター。

 こうした活動で重要なのは、(身近な)素材を教材化する問題意識であり、教材研究であり、子どもと共に学ぶ姿勢です。また、総合学習は、同僚の教師集団と、あるいは学外の地域の人びととの協働がカギですが、そうした実践のプロセスこそが教師の力量形成につながるでしょう。

 最期に、幾つか、「総合学習」に関する学生の発言を引用しておきます。

「今まで自分が受けてきた総合学習はただの調べ学習としか思えなかったので、今日の授業を聞いて、教材次第・やり方次第で、無限に広がっていくのが総合学習のだいごみであると思った。特に、”横断的な学習”という面では、教科学習にはない、おもしろさではないか。1つのテーマに関して、さまざまな角度からアプローチし、深めていくということは、生きていく上で大切なことであるのに、なかなか授業では扱えていないのではないかと感じた」(Y.S 君)

「総合学習で扱う教材となる素材は、本当に身近なところにたくさんあるのだということを改めて気づかされた。総合学習の実践で、「主体的な学び」 が可能となり、今後の社会参画にもつながり、さらに、社会で生きていくために必要な「疑う力」のようなものも身についていくと考える。これから教師になるにあたり、総合学習の授業を大切にし、力を入れて取り組んでいきたいと思う」(A.K さん)

「今日の授業を聞いていて、総合学習の ”総合” という言葉の意味の深さを改めて認識した。ただ、この「総合」をフル活用していくには、教師の側の相当な下準備が必要だという印象を覚えた。総合学習を徹底的にやりたくても多忙でできない人もいるという現状はどうにかしなければならない気がした。子どもにとってよりよい主体的な授業をするならば、教師1人だけではなく、他の教師や地域との連携をしないかぎりは、総合学習は不可能であると思う」(K.N 君)

 学生は、教師のもどかしさまでも、冷静に見すえているように思います。

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コメント

文部科学省からの指導では、小貫先生のような「総合学習のカリキュラムづくり」は認められない(全くではありませんが、メインにしてはいけない)ということでした。
勤務校で「地域を対象とした総合学習のカリキュラム」とシラバスに明記したところ、指導が入り、書き直しを命じられています。

文科省の意図は「総合学習で学ぶ内容についての調査・研究方法」を学ぶこと、にあったようです。しかし、これだけでは、教育課程の4/(高校)3領域に対応する教員養成課程カリキュラムとしては不十分で、実際には「授業づくり」「カリキュラム化」についての内容が含まれていることも多くあったと思われます。

学習指導要領解説では「総合的な学習の時間」が新たに執筆され、総合の充実が求められています。探究課程はおもに、総合が担うわけですから、より深い指導が必要だったはずです。

先生のご指摘の通り、廃止はいかにも乱暴で、内容の変更が必要なのにもかかわらず、廃止決定がなされた(正確には、教科又は教職に関する科目への移行も認められていますが)のは、教員養成担当と学校教育課程担当の縦割りの弊害がでたのではないか、と危惧します。

廃止が妥当なのか否か、検証が必要なはずなのですが、あまりこの研究は進んでいないように思えて成りません。

すずきさん、コメントありがとうございます。
「総合演習」廃止への疑問を共有し、共に深めていけたらと願います。
その意味で、心強く思いました。

なお、「カリキュラムづくり」で、「地域を対象とした総合学習のカリキュラム」に限定し、それをメインにしてしまうのはつつかれるでしょうね。
私も地域と共に創るカリキュラムに賛成しますが、それは総合学習のひとつのモデルであって、学生はあらゆる総合学習の方法論と可能性を学ぶことが保証されるべきと思います。

それにしても、今回の「総合演習」の廃止・・・私は、日本の教育のあり方の危機とまで考えております。究極的には、これまで「総合演習」づくりに苦闘し、そこから学びとってきたものが多いのです。これからもその成果を大切にしていくことだと考えています。

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