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2010年6月 1日 (火)

「開発教育のカリキュラムとESD」原稿作成の裏話(その2)

5月末をもって、『開発教育で実践するESDカリキュラム』 第2章 「開発教育のカリキュラムとESD」 を(再)脱稿しました。結局、全体を推敲し直し、少しずつ修正する結果になりました。ところが・・・。

研究会メンバーから根本的な問いかけがあったのです。タイトルにある 「ESDカリキュラム」 という用語は、書籍全体の内容が 「開発教育カリキュラム」 であることを考えるとどうだろうか・・・という問題提起です。

元々、今回のカリキュラム研究の原点は、地球環境基金の助成を受けた「ESD総合カリキュラム」作成でした。環境教育の延長に傾きがちなESDの現状に対して、本来の総合性あるESDのカリキュラムはいかにあるべきかを提案しました。

そこから、「開発教育で実践する」とどうなるかを具体化したのが今回の研究です。したがって、今回のカリキュラムはESDと開発教育のふたつの顔を持っています。「開発教育で実践するESD」であり、「ESDを実践する開発教育」です。

ただし、中心軸は副題にある 「地域を掘り下げ、世界とつながる学びのデザイン」 なのであり、実質は 「開発教育でESDを実践するカリキュラム」 です。「まえがき」では「ESDの観点から構想した開発教育のカリキュラム」の側面を明記しています。

私は、今回の出版のねらい(意義)を、「開発教育ではESDをこのように実践する、これは本来のESDのあり方に限りなく近いのではないでしょうか?」 と提案することにあると考えています。それは、「地域の課題に向けて、ゆたかな人間関係を築き、地域の歴史に学び、みなの参加を得ながら課題を克服し、それによって地域が生き生きとなり、さらに、他地域や世界との自立や共生のつながり方を実現していく」 イメージの学びです。特に、世界とつながる課題解決への取り組みが重要です。

開発教育からすれば、「これまで時代に対応してきた開発教育の歴史に学びながら、持続可能性が問われる今日に対応する新しい開発教育のカリキュラムを検討する」ということです。。

そうした主体性をはっきり確認しておきたいと思います。さもないと、イギリスで開発教育が Global Citizenship Education に解消されたと同様の受け止め方が起こるでしょう。私は、それを望んでいません。

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コメント

小貫さん、お世話になっております。

開発教育とESD(持続可能な開発のための教育)ですが、
これらに相違はあるのですか?
どちらもよりよい開発を考え、実践に結びつけるための教育だと思いますが。

行っている人が異なるだけで、まったく同じものではないかと思ってしまうのですが、いかがでしょうか?

武末さん、書き込みありがとうございます。
研究会では、いつも根本に関わる発言をしていただき感謝しております。

さて、開発教育(DE)とESD(持続可能な開発のための教育)は”D(development)”の部分が共通し、共に「よりよい開発を考え、実践に結びつけるための教育」だと私も思います。この本来あるべきESDであってほしいと思います。

けれども、ESDの現状はさまざまに見えます。それに対する問題提起なのですが、ある意味、武末さんのおっしゃる通りであってほしいという願いを込めている側面を読み取っていただけると幸いです。

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