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2010年5月13日 (木)

「開発教育概論」でのグループ討議より

開発教育ファシリテーター養成講座第4講は 「開発教育概論」でした。これまでの、第1講  「オリエンテーション」、第2講 「開発経済学入門」、第3講「春合宿」に続くものです。

講義の概要は、開発教育の歴史的展開を解説した上で、今日の地球社会の課題と開発教育について考え、日本の開発教育の現状を検討するというもの。そのあと、グループで討議しました。そこでのお題は、「(A)開発教育はなぜ重要なのか、(B)開発教育は日本社会でなぜ普及してこなかったのか、(C)開発教育普及に向けた新しい開発教育の枠組みを考えてみよう」です。このお題からも講義内容が伺えるだろうと思います。

グループ討議の結果、非常に興味深い発表がなされているので整理しておきます。

「これまでの日本の現状は、途上国を遠い国としてしか認識できず、依存していれば済んでいた。そして何より、これまでは自分たちの足元に開発の問題意識をもつことができなかったのではないか。つまり、国内の格差の問題も見えていなかった。

でも、これからは違う。日本にも開発問題がはっきり見えてきた今日、私たちは自分たちの開発課題に取り組み、同時に途上国との関係性を改善していくことができるようになるだろう。これはまさに、欧米からの受け売りだった開発教育が”日本の開発教育”に変貌を遂げることである。」

・・・これは凄い!というのが素直な感慨でした。なぜなら、こうした考察は、今日、特に2000年以降の(日本の)新しい開発教育の方向性に鋭く肉薄するものだからです。

これまでも、開発とは途上国だけのものではないゆえに、身近な問題から世界の問題へ至るアプローチは重視されてきました。"Think globally , Act locally" というスローガンもこれに関連しています。けれどもここでは、身近な問題を本当に自分の問題として掘り下げることにはなっていないのです。自分たちの開発問題を見るのでなく、どうしても世界の問題の方に焦点があったと言えましょう。そこにリアリティある開発問題の認識が伴わない傾向は当然の帰結でした。

現代の開発教育は、「日本の開発問題」に焦点を当てることを重視するようになっています。このことが、かつての身近なところからのアプローチと同一でないことは明らかでしょう。それは、グローバリゼーションの時代における世界中の課題の類似化の反映でもあります。ローカルを重視することがグローバルな世界だからこそというのは意味のあることです。ローカルな開発課題に取り組むことが、それだけでは終わらずにグローバルな関係性の学びにつながることが必然的に問われてくるのです。

これが、グローバリゼーションの時代における新しい(日本の)開発教育の方向性だと私は捉えています。これまでの開発教育からすれば遠回りのように見えても、それこそ「急がば回れ」なのではないかと思えます。

地域重視は、ESD(持続可能な開発のための教育)とも深く関連しているのですが、いずれにせよ、開発教育では足元の開発問題(貧困・格差、地方の衰退、多文化共生、環境、食と農の問題など)を発見することが重要です。その身近な課題をリアルに認識し、解決に「参加」することを通して、開発問題を学びます。

もちろん、それで終わってしまっては開発教育としては中途半端です。開発教育はそこから、世界レベルで開発問題を知り、つながりに気づき、共感を伴った理解や構造的な理解を通して世界の関係性を問うこと、生き方の問い直しと参加の精神を学んでいきます。

実は、こうした一連の取り組みこそが本来の「持続可能な社会(世界)づくり」、つまり持続可能な「開発」ということなのですが、開発教育が考えるESDの捉え方については別の機会に再考します。

 

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コメント

同感、共感!
私は、「開発教育(スキル的なもの)に出会って、目からウロコ」⇒「なんだか、リアリティに欠ける(離れる)」⇒(自分が地域の開発・まちづくりに関わる)⇒「開発教育の重要性を実感!」というプロセスをたどってきました。
それは、まさにブログに書かれていらっしゃることを、実感したからです。
「そうそう!」、このようなお考えの持ち主はいったい?
おぬきさんでしたか・・・。納得。
今、一歩づつですが、「教育」と「参加(活動)」をむすびつけつつあります。

椿原さん、このBlog初のコメントをありがとうございます。

『JICA'World』2010年1月号の記事を読ませていただいています。
「日本と途上国、お互いに成長して学び合える関係になるため、”心の種”をまくのが私たちの仕事」という表現、味わい深いですね。
コミュニティコミュニケーション・サポートセンターの活動は、私が書いた「日本の開発教育」の実践そのものと思います。

まさに、同感、共感!で、椿原さんの活動に多くを学んでいきたいと考えております。
今後とも、よろしくお願いいたします。 

おぬきさんはじめ、開発教育に取組んでこられた方々の知見や経験を土台に、私は学ばせていただいています。

開発教育といっても、実践者の立ち位置や問題認識で、捉え方や取組み方が異なっているのだと感じています。
その異なった関わりを共有し、深め合うことが、実践をより確かなものにしていくのだと考えています。

来週は、九州大学の授業で、「貧困と開発」の教材を使わせていただきます。

研究会の取組み、情報発信に期待しています。

開発教育のさまざまな多様性については、その多様性の 「根っこの部分の共通性」 を確認することをいつも問い続けたいと思っています。

さて、大学の授業に『貧困と開発』 を活用していただけるとのこと、ありがとうございます!
「開発とは?」「貧困とは?」というそもそも論に関わるので、使い方は実践者によってどうにでもなる教材です。
結局、椿原さんがいつもやっているはずの 「教材7:自分のまちを歩いてみよう」 というアクション・リサーチが軸になるのですが、教室でのワークとしては、「地域の開発問題」を模造紙に描きだすことと、そこに見えてきたものをどう捉えるか、世界との関わりは?といった流れの討議になるのが常です。

椿原さんの場合はどんな授業になったか、良かったら報告してください。

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